夏休み中にできる再登校の準備について、家族のかかわりをわかりやすくお伝えするために、実際にあったいくつかの事例を一つのストーリーへと再構成しました。新たな一歩を踏み出したアキトの物語から何らかのヒントを見出していただければ幸いです。

不登校のきっかけ

中1の7月頃、夏休みに入る少し前から学校に行かなくなった。入学した時から中学校は嫌いだった。学校の決まりについてうるさく注意する先生ばかりで、自分が注意されているわけじゃなくても、それを見ているだけで嫌だった。周りは何の疑問も感じずにルールに従っているように思えて、集会の時なんかゾロゾロと列になって体育館に入っていくのは何だか蟻みたいで気持ち悪かった。
休み始めたきっかけは、今となってはどうでもいいことだけど、テニス部でいつも馴れ馴れしくちょっかいを出してくる奴がいて、我慢できなくなって「やめろよ!」と突き飛ばしたら周りの人間に思いっきり引かれてしまった。「あいつ、やばくない?」ってヒソヒソ話す声が聞こえてきて、どうしたらいいかわからなくなってラケットを投げてそのまま帰ってきた。
次の日の朝、ベッドの中で昨日の出来事を思い出していると、気まずくてもうどんな顔をして学校に行けば良いかわからなかった。起こしに来た母親に「今日はどうしても学校に行きたくない!」と言ったら、二言三言交わしたのち、何か察したのか「明日は絶対行きなさいよ!」と言われるだけでその場は済んだ。
次の日から学校に行くつもりだったけど、起き上がる気力が湧かなかったし、クラスや部活に顔を出した時に何て言われるかを考えると、やっぱり無理だという気持ちになった。身体の具合も悪いような気がした。自分でも「このまま行かなかったらさすがまずいよな」と思う気持ちはあったけど、毎朝母親に「行きなさい!」「何考えてんのよ!」とせつかれると、余計に行きたくない気持ちになったし、「学校に行け!」としか言わない母親にものすごく腹が立って、結局毎日怒鳴り合いの大げんかになった。
でもすぐに夏休み入って、母親もうるさく言わなくなり、「学校に行かなくていいんだ」と思うと、心の底からほっとした。とにかく学校のことは、夏休み中は考える必要もなかったし、考えたくもなかった。だから毎日スマホのゲームをやって過ごした。ゲームをやっていると不思議と心が落ち着いて行った。嫌なことばかりの日常にやっと面白いことができて、自然とハマっていった。
あっという間に一日が終わって、時々「このままでいいのかな…」と思うことがあったけど、明日考えよう、そして次の日も、明日考えよう、と思っているうちに夏休みはどんどん過ぎていった。

昼夜逆転と空白の1年

結局、夏休み明けは学校には行った。夏休みが終わる1週間ぐらい前に宿題に手をつけていないことがバレて、学校に行く気はあるのか父親に、問い詰められた。
宿題はやりたくなかったし、終わりそうもなかったけど、やったことにして学校に行った。
始業式の朝、学校に行く用意を始めると、母親は驚いた顔をして「学校行くの?」と言った。

身体の真ん中には金属の塊が入っているように重かったが、手や足や頭はふわふわして、何だか現実感がなかった。そんな俺とは対照的に母親は、どこか嬉しそうな顔をして俺を送り出した。
学校に歩いていく途中、自分とは別の方向から登校してくる生徒が合流し、大通りに同じ学校の人間の人口密度が増えてくると、緊張して、変な汗が出た。突然後ろから声をかけられたらどうしよう、声をかけられても落ち着いて振る舞えるだろうか、そんなことを考えながら歩いていった。
出来るだけ誰とも目を合わせないようにしながら昇降口の下駄箱を通過し、教室まで急いでいった。教室のドアを開けると、自分の席に一直線に歩み寄って寄っていった。

「そこ、お前の席じゃないよ」

教室の後ろの方から声がした。夏休みに入る直前のホームルームで席替えをしたそうだ。担任が伝えるはずだったとか、何とかいっていたがよく覚えていない。誰か後ろの方で自分を見て笑っているような気がした。1秒でも早く家に帰って一人になりたかった。その日は一日中うわの空で過ごした。そして次の日からまた、学校に行くのをやめた。
また毎朝学校に行くのか、行かないのか、どうするつもりなのか母親に確認される生活が始まった。父親には一度胸ぐらを掴まれて「ふざけるな!」と壁に押し付けられたこともあった。もう何も考えたくなかったし、一人になりたかった。親が寝静まった後、一人でゲームをしたり、動画を見ていると、心が安らぐのを感じた。眠気を催すまでひたすら画面を見て、いつの間にか寝た。朝は深く眠っていれば、何か言われてもやり過ごすことができた。
毎日夕方に起きて、用意してある飯を食べて、親が帰ってくる前には部屋に戻った。時々顔を合わせることがあったが、風呂に入れとか、朝起きろとかそんなことだった。でも何か言われた時に「うるさい!」と言うと母親は黙った。
時々学校から電話が来たり、何かプリント類を親が持って来たり、時々「学校のことどう考えてるの?」「何か困ってることがあったら話して?」とか突然そんなことを言ってくることがあった。
もう何もかも遅い。今から何をしても無駄だ。何もしたくない。全てがどうでもよかった。いつまでこんな生活を続けられるかわからないけど、こんな生活でいいからそれが永遠に続けばいいなと思った。ネットと、眠れる場所と、食べるものと、少しのお金があれば、他には何もいらない。多くは望まないから、この世界だけは自分から奪わないでほしいと思った。
2回目の夏休みはぼんやり過ぎていった。

突然の来訪者

年が変わって、4月になって、俺は中学3年生になった。親からは「今年は受験生だからね」とよく言われるようになったが、いまいちどういう意味かわからなかった。
ある日、見知らぬ人がリビングに来ていて、母親と話をしていた。身体に緊張が走り、身を隠した。俺のことを話しているけど、何を話しているんだろう。気になったが、部屋に戻って息を潜めていた。
翌日になっても、母親も父親も見知らぬ人間について何も触れなかった。何だったんだろうと気にしつつも、しばらく時間が経ったので忘れかけていたら、夜父親が部屋のドアをノックして話しかけて来た。

「ちょっといいか。お父さんもお母さんもどうしていいかわからず、お前に学校のことばかり言って悪かった。お前も諦めているかもしれないが、お父さんもお母さんも力になるから、時間を気にせず一緒にやっていこう。この生活は、終わりにしよう。まず話しをしようよ。」

何を今更そんなことを言うんだ。俺のことなんか何もわかっていないくせに!返事は何もしなかった。悔しいのか嬉しいのかわからなかったけど、なぜか涙が溢れて来た。

次の日から、「おはよう」「ご飯一緒に食べる?」「具合よくない?」「おやすみ」とよく声をかけてくるようになった。はじめは何の魂胆かと思って無視していたが、親が何を考えているのか、空気を読みながら生活しなくても良くなって、少し楽になった。そのうち、「うん」とか「ううん」とか自然と返事するようになっていた。食事も時々一緒にするようになった。

腹が減ったので、リビングに降りていくと母親が夕飯の支度をしていた。キュウリをひたすら輪切りにしていて、トントントン、トントントン、というリズムがなんだか懐かしく聞こえた。小学校の頃は、友達と遊んで家に帰ってくると、決まって母親が料理をしていた。そんなことを思い出しながら母親のそばにつっ立っていたら、母親が聞いた。
「昔、家族で宮崎に旅行に行ったの覚えてる?あの時食べた冷汁って美味しかったわ。作ってみようかと思って。あの時、『青島』っていう島に行こうと思ってたんだけど、ちょうど台風が来ていてね、すごい雨で危ないからやめよう、って渡らなかったのよ。あなたも小さかったしね。行きたい、行きたい、ってあんたビービー泣いてたのよ。覚えてる?今度の夏休みに、あの時行けなかった『青島』行ってみようか。最近家族で出かけることもあまりなくなってからね。」
急にその時の光景が頭の中によみがえってきた。雨と風がすごくて、海には白いしぶきが立っていた。海はとにかく広くて、薄暗い海の奥の方にはもはや何もないようだった。日常でとは違う景色、空気には興奮していた。そういえば、子どもの頃はいろんなところに行ったな。楽しい思い出もたくさんあった。でもいつから、どこから変わってしまったんだろうか。

「どう?行かない?」

何か他のこと言ったら涙がこぼれてしまいそうだったから「うん」とだけ言った。

3回目の夏休み −家族の旅−

今度の宮崎旅行は、天候も考慮し万全の計画を組んだつもりだったが、数日前に発生した台風の影響で雨が降り始めていた。それでも旅先では、家族と一緒にいろんなものを見たり食べたりして、父親の機嫌も良かったし、母親も昔みたいに優しかった。学校のことなどは何も言われなかった。前に来た時はこうだった、ああだったと、父親も母親もお互いに言い合っていてなかが良さそうだった。昔見たことがあるような、初めて見るような風景もいろいろあったが、昔確かにここに来たという感覚ははっきりとあった。今回の旅の最終日に青島に行くことになっていた。
宿泊先の旅館で夕食を食べている時に、父が言った。

「あの時、宮崎に来るのは大変だった。仕事も大変だったし、やっと旅行に行ける余裕ができてきた。お前も小さかったから、国内で今ままで行ったことがないところに行ってみようという計画だった。小さい頃からいろんなところに連れて行ってやれば、いい経験になるかなとも思った。周りの子に比べても、羨ましいと思えるような経験をさせてやりたかったから、俺も必死だったし、お前にも期待をかけた。期待しているのは今も変わらないけどな。しかし、また台風がくるとはな!明日もだめかなぁ?」

「明日は、雨でも風でも島に渡るよ。俺ももう小さくないし」

翌朝、目覚めて天気予報を見ると、台風の進路はずれて、もうすっかり遠ざかってるようだった。空は驚くほど青くて、水平線に近づくにつれだんだん白くなっていた。海の向こう側は空と一直線にぴったりと結びついているようだった。

解説

子どもと話ができなかったところから、なぜ家族が向き合い始め、そして最終的にはアキトから前向きな言葉が出てくるに至ったのか、そのことを考えてみることがヒントになります。
不登校は誰にでも起こりうると言われるように、どこの家庭にもあるようなかかわりやごく普通の学校の対応であっても、それらがマイナスに作用してしまった時に起こります。しかし、裏を返せば、現在マイナスに働いてしまっているしがらみについて、目線や対応を変えてみることで、状況を変化させることも可能だということも言えるはずです。

中1の夏休み明けにアキトの再登校が叶わなかった時に、不登校が長期化するかもしれないという親の不安から繰り返し登校刺激を行なったことにより、親子の間に溝が深まってしまいました。登校を促すことが悪いわけではありませんが、続けて登校できるだけの本人の心理面での準備と、登校を支えるためのサポート、そして、学校の受け入れ態勢などがうまく整わないと、数日から数週間で登校がストップすることがあります。
親子関係が悪化していてコミュニケーションがうまく取れなくなると、親は子どもが何を考えているかわからなくなり不安になりますが、子どもも同様に、親が何を考えているか、自分をどう見ているか、何をしようとしてきているか不安になり疑心暗鬼になっていきます。

親の考えを子どもに投げかけて反応を待つことや、日常のあいさつや声かけを普段通り行って、親はコミュニケーションをする用意があるということを示すことがまず必要です。親が子どもへの歩み寄りの姿勢を見せることで、すぐに子どもも心を開くこともありますが、多くの場合、アキトのようにやっと「理解された嬉しさ」とかつて「理解されなかった憎しみ」がないまぜになり、自分の気持ちがわからなくなります。たとえ憎しみを向けられても、根気強く理解を示し、受け入れ、親の考えを投げかけ、子どもの反応を待つということを繰り返していくことで、親子のコミュニケーションが戻ってきます。

子どもは心に不安が起こったり、刺激を受けたりすると、自分の心の中の反応が適切なのか、そうではないのか、一番身近な人に確認します。そしてその反応がおかしなものではないとわかると、安心して、気持ちが安定していきます。特に母親に対して「みんなそうじゃないのなの?私だけ?」「こんなこと考えるのおかしいの?」と疑問や不満を延々と話すことがあると思いますが、これは自分の感情や感覚を確認し、そのすり合わせを行なっているのです。
感情のすり合わせがうまくいくようになると、親への信頼感が増してきます。今回旅行に一緒に行くという決断ができたのも、親は以前のように自分を刺激する人、責める人ではなくなり、味方になってくれるかもしれないという信頼感が芽生え始めたからです。
母親、父親と一緒に何かに取り組むことを通して、共感・共生の感覚を得ることができると、さらに心の安定度が増していきます。今回は家族旅行でしたが、その中で子ども時代の家族関係の追体験ができたことにより、親の愛情を確認することができました。
親子関係が悪くなると、本当は心の奥底には、家族の良き思い出や家族に対する温かな感情があるのに、そこにアクセスできなくなってしまうようなことが起こります。「よいことなんて一つもなかった」のではなくて、それを思い出すことができなくなってしまっているのです。

もし今、あの時どんな気持ちだったか思い出せなくなってしまっていたら、家族の思い出の場所を再び訪れてみてはいかがでしょうか?

文・Allight Educational Consulting 代表 平栗 将裕

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