前回の土曜講座で取り上げたケースについて、今回もストーリー仕立てに構成してお伝えします。お父さんとお母さんのそれぞれの愛情の違いについて考えるきっかけになれば幸いです。

みんなに気を使って生きてきた

今年の9月の夏休み明けからは1日も学校に行っていない。いつも一緒にいた子たちにうまく合わせられなくなってきたことが原因だと思う。面白くないときも笑って、大げさに相槌を打って、相手の気分が悪くならないようにニコニコしていた。だけど、なんでこんなことしていなきゃいけないんだろうと考えるようになったら、うまく振る舞えなくなった。
私はいつもみんなが仲良くいられるように我慢をしてきたのに、他の子たちはそうでもなかったみたい。仲良くしていても、その場にいない子の悪口を言ったりする。別にそんなこと珍しいことじゃないけど、そんなことにずっと付き合っていることに疲れた。夏休みが終わったら学校に行かなきゃいけないとは思ってた。でも私がいなくてもあの子たちは楽しくやっていく。私がいなくても何の変哲もなく1日が進んでいく。そう思ったら悲しくなって、体が起こせなくなった。

昔から、家族の前でも気を使って生きてきた。家族の雰囲気が悪くなると、いたたまれなくなって、何か面白いこと言わなきゃ、空気を変えなきゃと思って。お姉ちゃんとお母さんは、勉強や進路のことでよく衝突することがあって、そういう時は私がなんとかしないといけない気持ちになった。

お姉ちゃんのことは好きだし、尊敬もしてる。昔から勉強もできて、美人で、友達も多かった。いつも堂々としていて、何もかも自分よりできるお姉ちゃんが羨ましかった。お姉ちゃんに唯一勝てたことといえば、私の方が足が速かったということぐらいかな。だけどそんなつまらないことで競っても仕方がないし、お母さんも勉強もスポーツも私よりお姉ちゃんの方ができると思っている。お母さんは何でもできるお姉ちゃんの方がかわいいと思ってたのかな。私がいつも我慢しなきゃって思っていた気持ちが、抑えられなくなってきた。

何で私が我慢しなきゃいけないの!?どうせ私には、何の取り柄もなくて、きっとこの先も何もできない。こんな風になってしまったのは、ずっと親に我慢させられ続けてきたからだ。これからみんな私にだけ優しくしてほしい。こんな惨めな私の面倒を一生見るべきなんだ。

今までずっと思っていたけど言えなかったこと、辛かったこと、お母さんが知らないことを全部言った。お母さんを傷つけるひどいこともたくさん言った。お母さんに悪いと思ったけど、許せなかった。

レイカの気持ち −母の視点から−

学校を休み始めたばかりの時は、レイカがどういう気持ちでいるのかわかりませんでした。レイカの気持ちを無視して傷つけるようなことをたくさん言ってしまったと思います。あの時は、とにかくなんかして学校に行かせなければならない、そうしないと、この子の人生も家族も、本当におかしなことになってしまう。今ここで母親としての対応を間違えるわけにはいかない、失敗はできない、という気持ちの焦りが強く、レイカが何を言おうとしているのか、レイカの立場に立って理解しようとする余裕がありませんでした。

話し合おうとしても、お互い感情的になってしまい、建設的な話ができませんでした。「子どもの気持ちを受け止めましょう」とよく言われていますが、どうしたら受け止めることになるのか、わかりませんでした。

でも私自身が、子どもへの対応を専門家に相談するようになり、少しずつレイカの気持ちと私の気持ちがすれ違う理由がわかってきました。「一生面倒を見ろ!」と親を罵る娘の姿をそのまま肯定してあげることは難しく感じましたが、どうしてそんなことを言うようになったのか、レイカは何を訴えようとしているのか、言葉通りの意味ではなくて、過去のことをひとつひとつ思い出しながら、レイカの心の中を理解しようとしました。私は今こんな風に現実を見ている。でもレイカは違った見方をしているはずだ。そう思えるようになったとき、少し冷静になることができました。

私がレイカのことを理解しようとしている姿勢が伝わると、レイカも険のある言い方はしなくなっていきました。一緒に食事をしたり、リビングで過ごしたり、同じ空間で過ごす時間が長くなっていきました。 そのうちレイカはしょっちゅう私のそばにいるようになり、私がリビングで寛いでいると、隣に座ってきて、もたれかかってきたりするようになりました。「どうしたの?」と聞いても、はっきりした返事はせず顔を埋めてまるで子どものようになることが増えていきました。

忘れていたいつかの時間

お母さんから学校のことは何も言われなくなって、優しくしてくれるようになった。どうしたんだろう、学校に行かなくていいはずないのに、何を考えてるんだろう。でも、一緒にいるとお母さんに守られている感じがして安心する。
学校のこともこれからのことも、何も考えたくない。でも高校生にもなってこうやってお母さんにくっついているのなんて、なんかおかしい。こうしていたいけど、何だか悪いような気もするし、恥ずかしい感じがする。だけど本当は、お母さんに抱きしめて欲しい。私だけのことだけを考えて大事にして欲しいと思ってしまう。

ただ学校を休んでいるのも悪いような気がしてきたので、家のことを手伝うようになった。一緒に料理をしたり、洗濯をした。お母さんとは家事をしながらいろんな話をした。ある時思い切って気になっていたお姉ちゃんやお父さんが私のことをどう思っているか聞いてみた。

「お姉ちゃん、私のことどう思ってるかな?最近は顔を合わせても話しはしないし、お姉ちゃんも大学忙しいみたいだし。」

「お姉ちゃんも、なんて声をかけたらいいかわからないけど、どうしたらいいかって心配してるわ。お姉ちゃんもレイカのこと大切に思っているから大丈夫よ。」

「そっか。私もお姉ちゃんに話しかけなかったこと悪かったかも。お父さんは?」

「お父さんにもレイカのことは大丈夫だから、少し見守っていてねってお母さんから話しているわ。もちろんお父さんもレイカのこと心配しているし、何かできることはないかって言っているわ。」

「ほんとは呆れているんじゃないの?何も期待しなくなったというか。」

「そうじゃないわ。お父さんもレイカと話したいと思ってるけど、どう話していいかわからないのよ。伝えたいことはあるけど、うまく伝えられなかったら傷つけてしまうこともあるんじゃないかって考えてるみたい。」

「お父さんて、そんなこと気にする人なんだ。そう言えばお父さんと真面目な話とかしたことないし、よくどんな人かわからない。」

それから、お父さんについて色々話した。お母さんとの出会ったときの話や、お父さんの若い頃の話を聞いた。いつも真面目できちんとしているお父さんの姿からは想像できないけど、お父さんも昔からずっとあんな風じゃないんだな、自分と変わらない時代もあったんだよなと思えて、少し親近感が湧いた。

リビングに二人きり

もう学校に行かなくなって長い時間が経つ。最近はどうにかしなきゃいけないと、思う瞬間も増えた。でも何をどうしたらいいかわからない。何かを始める気力は湧かない気がするし、何かに向かって頑張るのは怖い感じがする。

今日はお母さんがいないので、夕飯は温めて一人で食べることになっていた。しかしリビングに行くと、いつも帰りの遅いはずのお父さんがいた。

「一緒にご飯食べるか。」

「いい、まだ食べない。」

「まぁいいから一緒に食べよう。今日はお母さんがいないっていうから早く帰ってきたんだぞ。」

勢いに押されてテーブルに座ってしまった。でもお父さんは全然学校の話はせずに、他愛のない話ばかりして場を持たせている。逆に私の方が耐えきれなくなって、学校のこと聞かないの、と聞いてしまった。

「それは、その話もしたいと思ってたし、ずっと心配してたよ。でもお母さんからレイカは家でどうしているか聞いていたし、力になれる時に力になりたいと思ってた。」

お父さんは、自分の方から話を切り出すのをためらっていたこと、その間に自分なりに振り返って考えたことなど、話してくれた。

「長い人生のうち、少しぐらい立ち止まって考える時間があってもいいと思う。お父さんも若い頃、自分の人生について考えたり悩んだりしていたとき、もし立ち止まって考えることができたら、それも良かったかもしれないと思う。あの時は働かないといけないから、人生への疑問は忘れて頑張るしかなかった。でも今はそういう生き方ばかりじゃないだろう?」

お父さんの会社には、高校を中退して高卒認定を取って大学に進学した人や、人生経験のために大手の会社を辞めて日本で働くことを選んだ外国人など、ユニークな人が一緒に働いていることを話してくれた。

「レイカにはレイカの人生があるから、無理に誰かと同じ道を歩まなくてもいい。時間はかかるかもしれないけど、協力するから何でもやってみたらいい。」

お父さんは普段はあまり話さないけど、長い目で見守ろうとしてくれているんだということがわかった。すぐに何か目標が見つかるわけじゃないけど、先のことを考えて少し動き出そうと思った。

解説

子どもに異変が起こったときに、頭ごなしに否定せず、子どもから見た世界を理解しようとすることが先決です。この時に早く受容的な対応ができるか否かで、対応がその後の回復までの期間の長短が変わってきます。
親も子も現在という同じ時間を生きているはずですが、心のフィルターを通して見る景色は全く違っている場合があります。
レイカの場合、これまでは家族の中のムードメーカーとしての役割をしてくれ、おそらくそれは、学校のグループの中でも同じだったことでしょう。レイカ自身も、自分は周りに気を使うことができるという認識があっただろうし、人に思いやりを持てることを誇りに思っているところもあったかもしれません。
しかし、心の安定度が崩れたときに、物事のポジティブな側面が見えなくなって、ネガティブな側面だけが前面に出てくるということがあります。本当はあったはずの楽しかったこと、嬉しかったこと、他人や自分の良いところが見えなくなってしまいます。だから自己否定の気持ちに陥っているときは、ポジティブな側面が見えないし、自分には全然良いところがないような気持ちなります。

レイカが母親に対して抱いていたような、「お母さんに愛されたい、でもお母さんを許せない」という矛盾した感情は、理解してあげることが難しくもありますが、本人としても心の中の矛盾が起こっていることに混乱している場合があります。つまり、「結びつきたい」のか「離れたい」のか自分でもわからず苦しむというような状態です。

このような心に混乱が生じたときに、「幼児退行」という幼い子どもに戻ったような現象が起こり、母親の愛情を確認して子ども時代を追体験する時間が体験できると、心理的な安定度はかなり増してきます。目に見えた形で幼児退行が起こらない子も少なくありませんが、母親との関係を再確認する時間は大変重要になります。
母親と緩やかなルールのもとで一緒に生活し、自分も姉も平等に母親に愛されていること、そして母親も父親も同じように自分のことを大切に思っているということを確認できると、家庭で穏やかに過ごせるようになってきます。

しかし、一歩家庭から出ようとすると、学校(社会)には期限があり、成績あり、優劣がつくという現実があります。家庭の中で母親と一緒に過ごしていると安心できるし、母親からは愛されていると思うけど、父親はこの生活を良く思っていないのではないだろうか、母親にとって自分はいい子かもしれないが、父親にとっては悪い子かもしれないという不安が出てくることがあります。父親はどう思っているだろうか、世間は自分をどう見るだろうかという不安です。母親(母性性)の愛情を十分確認できたときに、そこに加わるように父親(父性性)の愛情が確認できると動き出すきっかけになります。
母性性が能力や個性にかかわらず、どの子も平等に可愛がる愛情であるのに対し、父性性はより良い人間になるよう、鍛え育てる愛情です。父性性は、「切る原理」と言われており、良いことと悪いこと、個性や能力の違いなどを見出し分類する機能があります。父親からの評価は、時に子どもの自信を失わせてしまうことがあるかもしれませんが、子どもの独自の良さを見つけて、自信をつけてやる機能もあるのです。

ここでは便宜的に、お父さん・お母さんの役割として書いていますが、実の父親、母親から愛情をかけられないといけない、という話ではありません。学校や社会の中でのお父さん的な存在から、認められたこと、励まされたことが原動力になることもあるはずだし、自分の弱いところを含めて認め愛してくれる人の存在に癒されることもあるはずです。お子さんに伝えたいことがあるときは、恐れずに伝えてはいかがでしょうか。お子さんもきっとそれを待っています。

文・Allight Educational Consulting 代表 平栗 将裕

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